──それは、こんな噂だ。
貴方が何かを取り返したいとき。
あるいは、過去に戻りたいとき。
魔法使いが現れる、という噂だ。
だが、魔法使いを呼ぶには、ある手順を踏まなければならない。
それは、こんな方法だ。
まず、深夜2時に花を一輪持って、家の外へ出る。
この花は、真っ白なまだつぼみであればどんなでも良い。
次に、取り返したいモノがある場所、戻りたい場所まで移動する。
そこへ着いたら、花を持って目を閉じ祈る。
“私の願いに気付いて下さい”
それを何か起こるまで、ただひたすら繰り返すだけだ。
そして、何か変化があったと感じたら目を開ける。
この時、花に何も変化がなければ更に続ける。
もし、花が色づいていたり咲いていたりしたら、次の段階へ進む。
花を見つめながら、自分の願いを強く思うのだ。
そうすれば“彼”は現れる。
“彼”は、取引を持ちかけてくる。
“彼”の要求を満たせば、その願いを叶えると言ってくるだろう。
それに承諾して“彼”に花を渡したとき、契約は成立する。
ただし気を付けなければならない。
このことを誰にも言ってはいけない。
花を渡した時点で、貴方はもう後戻りは出来ない。
そして、“彼”の要求を必ず満たし、誤魔化してはいけない。
もし、このどれかを破った場合、貴方は覚悟をしなければならない。
それは………
「怖いねぇ、怖いねぇ」
にたり、と。
真っ赤な唇が嗤って言った。
「僕はこれでも、一応人間にはまだ優しいからねぇ…それはちょっと、酷すぎない?」
それ、と指を差して彼は言う。
指さした先には赤い水たまり。
その中に、ぽつんと男が佇んでいた。
その男も、頭の天辺から足の先まで、真っ赤に染め上げられている。
…それは、どう見ても人間の血液だった。
その証拠に、この部屋中に鉄臭い匂いが満ちている。
気分が、滅入りそうになるほどの異臭。
その元凶が、佇む男の足下に転がっていた。
だが、もはや原型を留めてはいない。
見ていられない光景が、そこにはあった。
だが彼は顔を背けなかった。
銀の前髪に隠れた淡い緑の瞳を弧に描き、紅を引いた唇を歪める。
──完全に、それは笑顔と呼ばれる表情だった。
「それに、僕はそこまで怒っちゃなかったさ」
「……いいや、貴方の気持ちはお見通しだよ」
と、誰かが彼にそう答えた。
佇んでいる男ではない、彼の背後からだ。
「貴方は嘘が好きだ、でなければどうして私がここまでしようか?」
「それは、君が猟奇的だからじゃなあい?」
くすくす笑いを零して、彼は背後からの問いに答えた。
わざわざ振り返って、相手を確認する必要はなかった。
彼は、とっくに気付いていたからだ。
そうでなければ、彼が黙って背を見せる訳がない。
「私が猟奇的?」
背後が、少しだけ笑いを混ぜ込んで呟く。
「それは大いに勘違いしているね、私は決してそうじゃない。貴方の命ずるままに動いただけ…そう、どちらかと言えば、貴方が猟奇的だ」
「ふふん?まぁいいけどね…でも、君も嫌いじゃあないでしょ?」
ここで、初めて彼は振り向いた。
何となく、背後の今の表情が知りたかったからだ。
そこには、黒髪の男がいた。
その男は、今も血だまりに佇む男と、全く同じ顔だった。
ただ違うのは、その顔はほんの少しだけ笑っているということ。
男は、笑ったまま答えた。
「嫌なら引き受けたりはしないさ」
「ほぅら、やっぱり猟奇的」
彼が満足げにそう宣言すると、人指を立ててさっと横へ振った。
途端に、それまであった光景は消え失せ、辺りには何もない空間が広がった。
それから彼は、男へ赤いつぼみの花を差し出した。
「はい、お約束の品物」
「これは綺麗な…」
受け取り、男は至極嬉しそうに言った。
彼は、片目を閉じウィンクしてみせると、得意げに言ってみせた。
「だってそれ、恋人を返してってお願いだったからさ」
「愛と憎悪の結晶なら尚更美しいね」
と、男はそれに口付けて、赤い瞳をそれは愛しげに細めて。
「…魔法使いから逃げなければ、この願いも叶って、私に会うこともなかったろうにね…」
男は、しかし、実に愉しそうに言葉を紡いだのだった。
……本当の脅威は、魔法使いではない。
魔法使いは、決して追わない。
じっと、逃げる貴方を視ているだけ。
暗闇の中を逃げると、やがて1つの明かりが見える。
次第にそれが家の明かりだと分かるくらいに近くなったとき、貴方は覚悟をしなければならない。
生きるか、死ぬか。
扉を開ける前に、強く心しなくてはならない。
もし、開けて中に誰も居なければ、貴方は生きて帰れるだろう。
だが、もし誰かが居たら、貴方はもう帰れない。
その者は、貴方が魔法使いを呼んだときから監視している。
その者は、常に魔法使いの影に潜んでいる。
その者は、魔法使いと共に都市伝説とされている。
その名は──“儀式屋”
To be continued...