ひらひらと、淡い向日葵色のスカートの裾を風が弄んだ。
少女の横を擦り抜ける時に、甘い香りを残していった。
スカートの裾を押さえつつ、視線を上へと向ける。
今や目の前にある屋敷は、遠くで見ていたときよりも、そのスケールの大きさに驚かされる。
お伽噺の挿し絵からそのまま抜き出されてきた、そんな古い屋敷。
未だ鼻孔に残る、甘ったるいそれも、どうやらこの屋敷から溢れだしているらしかった。
「いい香りだろー?女王様の趣味なんだぜー」
少女の心を読んだのか、横に立つリヒャルトが説明した。
無意識のうちに、ユリアは頷いていた。
リヒャルトはにんまり笑うと、ユリアの手を取り。
「でも驚くのは中に入ってからだぜー」
そう告げると、二人をじっと見下ろしていた、二頭の獅子の石像の前を通過する。
そして、屋敷とこちらを分け隔てつ門に触れた──いや、触れる寸前で、リヒャルトは手を止めた。
止められた手は、そのまま彼の後頭部に回る。
それから困ったように、ユリアを見てきた。
「……どうしたんですか?」
「うん、えーっとなぁ…残念ながら、俺が君を案内出来るのは此処までなんだなー」
「……え!?」
目を丸くする少女に、リヒャルトは説明を試みる。
「客人が来るときは、女王様は客人しか屋敷内に入れないんだー…うっかり忘れてたよー」
「え、と…じゃあ私は……」
「本当にごめんなー!此処からは君一人、でももう真っ直ぐ進めばいいし、この屋敷にはまず部外者は入れないから、大丈夫だぜー」
わしゃわしゃと、ユリアの黒髪を掻き乱すように彼は撫で回した。
あわあわとユリアは慌てる。
「わ、分かりましたからっ、もう撫でないでいいですっ」
「やだねー。だって泣きそうな顔だったんだしー。ごめんなー?不安にさせちゃったかー?」
言われて、はっとしたように少女はリヒャルトを見た。
……不安、なのだろうか?
だとしたらどうして──
『どうして俺が行かなきゃいけないわけ?』
頭の中で蘇ったのは、今朝聞いた彼の言葉。
ほんの少し前に聞いた言葉なのに、もう随分むかしに聞いていたように思えてしまった。
忘れたくて記憶を違うもので覆い尽くして、だけれどずっと心に引っ掛かったままだった。
もしかしたら、そのせいかもしれない。
一人で行くつもりだったのが、途中で今頭を撫でている彼と出会って。
だか再び一人で行くことになって。
(……忘れてた、のに)
「大丈夫、ですよ」
心を押し殺して、ユリアはリヒャルトに笑ってみせた。
こんなところで、立ち止まってる場合などではないのだ。
そんな少女の笑顔に、赤髪の男は何か言いたげに口を開いたが、それよりも早くユリアが言葉を紡いだ。
「ちゃんとリヒャルトさんは連れてきてくれたし、だから貴方のことを信じてもいいです」
「……、信じてもいいですってまた微妙だなぁー…」
うーん、と彼は頭を抱えたが、よし、と意気込むとユリアの頭から手を退けた。
それから、酷く優しく目を細めると。
「でもありがとなー。ほら、決意が揺るがないうちに、いってらっしゃい」
言って、軽く門に触れると音もなく開いた。
途端に柔らかな音色が、ユリアの鼓膜を叩いた。
先程まで全く聴こえなかったのに。
ユリアがその音楽に聴き惚れていると、とんっと背中を押された。
見なくとも分かる、行けとリヒャルトが促しているのだ。
小さく首を振ると、ユリアは一歩屋敷の中へ足を踏みだした。
流れるように聴こえる音色に導かれるように、更に奥へとユリアは歩みを進めていく。
石畳の上を道なりに歩き、そのまま行けばこの大きな邸宅の玄関だった。
が、ユリアは急に進行方向を違えた。
玄関の階段を上る前に、右へと曲がったのだ。
屋敷の裏へと回り込むように続いている道を行くと、庭園らしきところへ出た。
その中央から、ずっと音楽が鳴り響いているのた。
手入れの行き届いた両サイドの垣根が、そこへと導いてくれる。
誘われるままに足を向ける、近付くにつれて香りが強くなる。
そして──
「いらっしゃい」
──真紅を纏った麗人が、そこで微笑んでいた。