時間にして彼女が黙り込んでいたのは、僅かに数秒のことだったろう。
不意に、彼女はルイたちをもう一度だけ見やった、その一瞬だった。
ルイの見えないはずの目と、視線が絡み合ったのである。
ぎょっとして彼女は、目を瞬いた。
その時には、いつも通りにアイマスクで覆われた彼がいるだけで、間違っても目が合うような形ではなかった。
だがそれで、ボニーの気持ちは定まった。
一度深呼吸をして、電話の向こうで待つ部下に答える。
「分かったわ、応援を送りましょう。ただし、全異端管理局からの方にも手伝っていただきます」
『し、しかしボニー局長……』
「これは決定事項よ。不服があるなら、応援は諦めてちょうだい」
『分かり、ました。ではお願いします』
戸惑い気味のまま、彼の応答はそれで終わった。
彼の気持ちは、ボニーにも痛いほど伝わっている。
申し訳ない気持ちと、致し方ない状況に、彼女はもやもやとした気分だった。
だが、こうするしかなかったのだ。
溜息を吐くと、待ち構える二人に向き直った。
「お聞きになっていたでしょうが、ご協力をお願いできますか」
「それはもちろんです。やはり貴方は、お話が分かる方ですね」
ルイが弾んだ声でそう返してきた。
ボニーはそんな男をまじまじと見つめた。
覆い隠された目、普段は決して覗くことのない、その目。
それと確実に彼女は視線が絡んだ。
目が合った、ただそれだけなのに、一瞬で彼女は毛穴という毛穴から冷水を注ぎ込まれたように感じたのだ。
それを平たくいうのなら、恐怖という一言が適切だろう。
そう、彼女はあのとき、見えない視線に恐怖を感じたのだ。
そのせいで、迷っていた判断にも、決着が着いたのではある。
だが、何だか彼に自分の思考を操作されたかのようで、気味が悪い。
まるで、自分が何で決断を渋っているのかを看破し、強制的に諾とするよう仕向けられたかのようだ。
そんなことおくびにも出さないが、代わりに思い切り睨みつけた。
「ただし、条件があります」
「何でしょう」
「そちらの協力者ですが、一名のみならば許可します。それでいかがですか」
睨んだまま、彼女はルイに条件を突き付けた。
許可したからといって、何もかも許可したわけではない。
彼の思惑通りにさせるつもりはないのだ。
「分かりました、いいでしょう」
「局長、」
「なんです、アンリ。やっとボニー局長が許可してくれたのですよ」
「しかし、」
「アンリ、往生際が悪いですよ。こんなところで対立してどうするのです」
静かにルイに諭され、アンリはぐっと押し黙った。
意外にも副局長は、気持ちだけで動いてしまうような面もあるらしい。
少しボニーが呆気に取られていると、ルイが話の矛先をいきなり彼女に戻した。
「それで受けましょう。ですが、派遣する者はこちらで決めます」
「構いません、仕事をして下さる方なら」
「では決まりです、一時間以内に、二区に向かわせます」
「お願いします」
ボニーが頭を下げると、空気の流れを読み取ったのか、ルイも軽く会釈を返した。
そしてゆっくりとした所作で、彼女の部屋を後にした。
出て行ったあと、彼女は忌々しげに拳を机に叩き付けた。
「アンリ、貴方は何故いつもそう真っ直ぐすぎるのです?」
ボニーの部屋を出た後、ルイは背後のアンリに問い掛けた。
彼が見かけによらず直情的で、怒りの沸点も低いようだと知ったのは、随分昔だ。
今もなおそうなのは、最早直しようもない性格だと、ルイも諦めている。
それでも一言、小言を付け加えずにはいられない。
「私はいつも貴方のためにしか動いていません」
「知っていますよ。ただ、貴方はもう少しでも忍耐力をつけるべきです」
「ですが、あの女の態度は問題です」
淡々と述べる彼は、聞く者は音声ガイダンスか何かと変わらないくらい、平坦な声に聞こえただろう。
だが、彼と長くコミュニケーションを取ってきたルイは、彼が未だに怒っているのが分かった。
それも、全てルイのための怒りであることもだ。
ルイは角を曲がり自局の執務室まで、黙って歩き続けた。
彼が何も言わない間、アンリもまた、口を閉ざして黙々と廊下を進む。