通された客間は、白と黒の世界だった。
床から壁、天井に至るまでチェス盤のようになっている。
必要最低限の物しか室内にはなくて、特に飾りたてられたものはなかった。
何となく、アンソニーらしさがなくて、ユリアは違和感を覚えざるを得なかった。
客間に通された後、初めはアンソニーも席に着いていたのだが、暫くしてしまったという顔つきになった。
そして、少し待っているよう言い残して、奥へ続く扉へ大股で歩いていった。
それから数分の後、再び現れたアンソニーは、やはりモノクロの盆の上にカップを三つ乗せて現れた。
「すまない、ダイナがいないことを忘れていた。久方振りに淹れたものだから、多少自信はないが……」
そう言い訳しつつ、僅かに気恥ずかしそうに、二人の前にソーサーに乗ったカップを置く。
漆黒に茶を滲ませたそれからゆらゆら立ち上る蒸気は、珈琲独特の香りを放った。
「味は大丈夫だろう。本当は、ダイナの淹れた物を振る舞いたかったのだがな」
「ダイナさん、そんなに淹れるのお上手なんですか?」
「勿論だとも。ダイナは何事においても完璧な女性だ」
細い目を弧に描き、酷く穏やかな口調で告げた。
ヤスは唖然として目を見開いた。
この男が誉め言葉を口から出すのは、大体が美術品だとか珍しい物だとか、とにかく人以外と相場が決まっている。
だのに誉めたということは、それほどまでにダイナが彼の信頼を受けているという証である。
この男にも、そうした感情があったのだなと感心し、出された珈琲を口に付けた。
途端に、ヤスはカップを思い切りソーサーへ戻した。
「熱っ!!」
「気を付けたまえ、カップが割れたらどうしてくれる」
「……あーそりゃすみませんっすね!!」
ただし、自分が認めた相手にのみ、ということだ。
ヤスの舌の火傷より、酷い音を立てたカップの方を気にした男を、そう評価し直した。
珈琲の味よりも苦い顔をしたヤスに、ユリアは曖昧に笑ってからアンソニーへ向き直った。
「ダイナさんのこと、とても信じてらっしゃるんですね」
「無論、その通りだ。出会いは最悪だったのだがね」
多少、苦笑いを含んで彼は答えた。
開かれたライトグリーンは、何処か遠くへと思いを馳せているようだった。
「分かっているだろうが、ダイナは吸血鬼だ。私は彼女に、襲われたのだよ」
「え……えぇ!?じゃあ、今のお二人って……」
「ああ、違う、違う。そうじゃないよ、お嬢さん」
ユリアの言わんとしたことが分かったのか、少女が言い切る前にアンソニーは否定した。
「ダイナに襲われたから契約した訳じゃない。彼女は、私を襲ったものの、その時には何もしなかったんだ。血が足りなくて、飢えていた癖に、彼女は何もしなかった。普通、主人のいない吸血鬼がそうすることは珍しいといっていい。その忍耐強さに惹かれて、私は契約したのだよ」
「うへぇ……変わってるっすねぇ」
ダイナとの経緯を聞き終えたヤスは、何ともいえない、といった表情でそう漏らした。
自分なら、襲った相手をわざわざ手元に置こうなど考えられない。
そう茶髪の彼の言葉に、一瞬にしてアンソニーの眉間に皺が寄る。
些か先程より口調を強めて。
「この世界を生きる者全て、変わっていない者などいない。私から言わせてもらえば、君ほど変わった者はいないがね」
「うっ……」
痛いところを突かれたのか、ヤスは小さく呻いた。
その様に満足したように、アンソニーは珈琲を啜った。
僅かに世界が沈黙した後、低い振動音が部屋中に満ちた。
何の音か、と辺りを探せば、ユリアの隣でヤスがポケットから原因の物を取り出した。
青年の手に握られたそれは、どうやら携帯電話のようだ。
館の主の非難がましい視線に耐えられず、ヤスは慌てて席を立つと部屋の隅へ向かった。
数分間、ヤスは小声で電話口へ呟いたり、頷いたりを繰り返した。
そして終了したらしい彼が、申し訳なさそうにして此方へ戻ってきた。