夢100のアポロ夢その2
B クラレットと城下の民。クラレットに湧き出る疑問
城下におりたクラレットがまず驚いたのは、街の活気だった。
朝市が開かれているのだろう。あちこちから威勢のいい売り言葉が飛び出し、道行く町民が足を止めては、品物を眺めたり露天商と交渉を行ったりと賑わいを見せている。
街にちらほら見られる花壇は、アポロをイメージしているのだろうか。赤や橙、黄色と言った炎の色を感じさせる花が植えられ、陽の光に瑞々しく伸びていた。
……これが、奴の街なのか?
クラレットはしばし固まる。陰鬱とした空気が澱み、人々は怯えながら暮らし、全体的に恐怖と悲しみが満ちている城下と言うのが、彼女の予想だったからだ。
少女は戸惑いながら、街へと一歩を踏み出した。
「お、見ない顔だなお嬢さん!どうだ、何か買っていかないか?」
すぐさま、行商人だろう男がクラレットに目をつける。びくりと肩を震わせながらも、クラレットは絨毯に広げられた品を眺めた。
陶製の置物、硝子製だろう髪留め、木彫りの人形。あとは金や銀などの装飾がちらほら。
「私がこの地の者でないと、よくわかりましたね」
「ん?ああ、そんな緋色の髪は珍しいからな。確かそいつは、×××××領の辺りのだろう」
「!」
クラレットの『元』領地だった場所をさらりと言い当てられ、目を丸くする。
しかし男はそれ以上追及するでもなく、何かどうだいと再び笑いかけてきた。
要らないとやり過ごせばいいのだろうが、クラレットもここ数日の鬱憤を解消したいところだ。それに商人ならば、アポロの悪政ぷりを一番よく知るはずだ。外堀を埋めるなら、確固たる情報が少しでも多く欲しい。
そう思いながら何気なく眺めていたクラレットの目が、ひとつの装飾品を捉えた。
「……これは?」
「うん?ああ、紅玉か。どこで手に入れたかは忘れちまったんだが、いい色だろう」
「ええ、とても」
クラレットが手にしたのは、紅玉の嵌まった指輪だった。大振り過ぎず、かと言って小さすぎない石が、銀製のリングに納められて、柔らかな光沢を見せている。
彼女にとっての紅玉は装飾と言うより、自身の力を強める増幅器のようなものだ。故に故郷ではどんな紅玉でも比較的安価な方だったが、やはり違う土地だと価値が跳ね上がるのだろうか。値札は今のクラレットではとても手が出そうにない。
全くの無一文で来たわけではないにせよ、いつ追い出されるかわからない身の上としては、素寒貧になることほど危ういこともないだろう。失敗した駒を救済するほどの優しさなど、ダイアに期待するのも愚かが過ぎる。
「……ですが、すみません。今は持ち合わせがないものですから。また覗いた時に、あれば」
「そうか。ならとっといてやろう。いつか買いにきな」
「え?いえ、そんな、申し訳ないですよ。貴方はこれからまた、旅に出なくてはならないのでしょう?」
「ああ、そのつもりだったんだが、最近は魔物もやたら増えてるしな。特に触れただけで覚めない眠りに落とされて死んじまうっていう……あー、なんだったかな。ユメなんとかっていう魔物が急に増えだしたとか言うし、そろそろ腰を落ち着けようと」
「……何も、こんな国のこんな領でなくとも」
ぽつりと呟いたその言葉を、男は耳ざとくとらえたようだった。
「何を言う。アポロ様の領にいれば安泰さね。何せ、街を守ってくださるからな。……愛想は全くないが、そのストイックなところが気に入ったって言う女性も多いと聞くよ」
「守るのですか?アポロ様が、この領の民を?」
潜めた声の内容より、クラレットには『守る』という単語の方が気にかかった。
他人の領地を簡単に蹂躙するような男が、自国の民を省みることなどないと、本気でそう思っていたのだ。
男の方は『何を言っているんだ』とばかりの顔をしたが、すぐにはっきりと頷いた。
「王たる者、民を守るのは当然だと言うのが、アポロ様の心情だからな」
「……」
「それに態度はどうあれ、アポロ様は一度懐へお入れなすった方を決して無下にはしない。もしそんな方だったら、今頃この街は空気も悪くて、みんな怯えて暮らして、どこもかしこも恐怖と悲しみに満ち溢れていたろうさ」
「………」
クラレットは辺りを見回す。
男の言った雰囲気は、この街の何処にもなかった。むしろそれとは真逆の活気に溢れ、皆が楽しそうに日々を紡いでいた。
(……あの男の言っていたことと、違う)
クラレットは怪訝そうに眉を寄せる。
(本当に、奴は、私の……)
「お嬢さん、どうした」
「え、あっ?」
「急に顔をしかめたりして、腹でも痛くなったのか?」
「い、いえ、すみません。……とにかく、またの機会に覗かせてください。ね?」
不思議そうな男に慌てて笑みを作り直し、クラレットは足早に離れた。
……それから街中を見回ったクラレットだったが、やはり行商人の男が言っていた通り、民のどこにも、悪政に怯えたり悲しむ様子は見られなかった。
近々アポロが妃を迎えるのではないか、という話題を聞いて盛り上がってはいるが、それを悲観する様子も憎む様子もない。それどころか「どんなお方だろう」などと興味津々に、或いは祝福する空気すら流れており、クラレットはいたたまれない気持ちになってきた。
「妃、か」
ぽつり、と毀れた声は、らしからぬ不安に揺れていた。
アポロを殺すつもりで許嫁に扮したと言うのに、最早自分が信じていたものが分からなくなっていたのだ。そうなると、縋るものを失ったクラレットは、ただの少女でしかなかった。
ふと、街中を行きかう人々の中、手を組んで仲睦まじく歩く恋人達が目に留まる。
「……私も、恋をしていたのかな。あんなことがなければ……」
呟いて俯きかけたクラレットだったが、女性の鋭い悲鳴を背に聞いてはっと振り返り、駆けだした。
人々が距離を置く中、先程見かけたカップルと、兵士らが対峙している。男の方は腕を斬られたか、血が流れる腕を押さえながらも女を背に庇っていた。
C クラレットとアポロ。告げられた言葉に揺らぐ少女
「ぶつかっといて挨拶なしか、ああ?」
「だから、謝ったじゃないですか!私も、この人も!」
「女は黙ってろ!俺達は誇り高きフレアルージュの軍人だぞ!」
「ぶつかったならそれなりの礼をしろ、って言ってるんだよ!」
怯えながらも返す女へ、男二人が唾を飛ばす勢いでまくしたてる。
「おい、あれ……」
「やめろ。あれはダイア様の軍だ。逆らったら何をされるか……」
(……あの男の)
ひそひそと囁く声を捉え、クラレットの表情が厳しくなる。
利害が一致したと言うだけで信頼など欠片もしていなかったが、あの男、部下の躾すら満足に出来ない体たらくらしい。
クラレットは群衆の輪から一歩、前へと出た。
「お、おい、お嬢さん!危ないぞ!」
「心配ない」
誰からともなくかかる声に短く答え、クラレットはカップルの前へと立った。
「あ、あなた……」
「逃げなさい。ここは私が引き受けます」
「でも、あなただって!」
「いいの。それより逃げなさい。貴方は、彼の怪我をしっかり見てあげて」
「っ……」
二人がクラレットを窺いながらも、ゆっくりと群衆の中へ逃げていく。それを優しく見送り、クラレットは兵士を睨み付けた。
「守るべき民衆に刃を向けるなど、恥も知らないのか。貴方達の剣は、弱い者を傷つけるために存在するのか?」
「誰に向かってクチきいてんだこのアマ!」
「俺達はフレアルージュの……」
「誇り高い軍人が聞いて呆れる。そんな張りぼての誇りなど、持っているだけ無駄よ」
「んだとコラ!!」
軍人の一人が、剣を抜いてクラレットに突きつける。揺らめく炎の瞳は、それを冷たく見つめた。
「っ、な、なっ!?熱っちぃ!!?」
その瞬間、兵士の持っている剣が赤く発光する。
否、正確には発光したのではなく、赤く染まるほど熱されたのだ。思わず取り落した兵士の剣は、瞬く間に燃え上がり、黒ずんだ鉄屑に姿を変えた。
「お、お前、まさか、アポロ王子と同じ……!」
「一緒にしないでくれるかしら?」
「くそっ!」
火傷を負った手を押さえ、兵士の一人が後ずさる。もう一人が素早く駆けて、群衆から子どもを引きずり出した。
「!」
「その力を使うのを止めろ、魔女め!こいつがどうなってもいいのか!」
「……下衆が」
クラレットが歯噛みする。しかしその瞳はすぐ、毀れんばかりに見開かれた。
いつからそこにいたのか、人質をとった兵士の背後に、アポロが佇んでいたからだ。
「貴様ら、我が民に何をしている」
「な、アポロ王子!?」
「何をしている、と聞いている」
低い声が威圧と共に吐き出されたかと思うと、人質を取った兵士が締め上げられる。
その隙をついて逃げ出した子どもは、母親の元に逃げ帰って涙の再会を果たした。
「ぐ、えっ……」
「あいつらの手の者か。全く、よくやることだ。……一度ならず二度までも、よくぞ俺を出し抜いてくれたものだな」
「あ、ああ、あ……!」
アポロの身体から、はっきりと熱の波動が放たれるのを感じた。このままでは、彼に捕まった兵士は……。
「アポロ様、お止め下さい。皆が見ています」
焼死させられそうな兵士を止めたのは、クラレットだった。
アポロは鋭い視線を投げては「なんだ、いたのか」と冷めた様子で呟く。
クラレット自身が兵士を私刑に処したところで、アポロに追放されるなり何なりで済むだけだ。しかし、一国の主とも言える彼が同じことをすれば、彼を信じる民が哀れすぎる。
「……」
「民を怯えさせるのが、君主のやることですか」
「……」
現に、アポロを遠巻きに見ている民は、彼の生みだす炎に恐れを抱いている。クラレットが剣を燃やした時と、それは同じ恐れだった。
アポロは溜息をつき、兵士を解放する。ショックでそのまま気絶したそれと、腰を抜かすもう一人をゴミでも見るかのように睨み付けると、傍にいた自身の衛兵へ何事かを命じる。
すぐさま動いた衛兵らが二人を連れて行くのを、クラレットは複雑な顔で眺めた。
「……あ、アポロ様!ありがとうございます!」
「ありがとう、アポロ様!」
水を打ったような静けさの中、涙ながらに笑う母親とその子どもが、アポロへ笑いかける。
「王が民を守るのは、当たり前のことだ」
呟いたその顔が、ほんの一瞬、柔らかい笑みを浮かべたような気がした。
やがて民衆の誰からともなくアポロを讃える声が上がりだすが、彼はその賞賛も意に介さないとばかりに、クラレットへ近づいた。
「おい」
その威圧感、鋭いまなざし。
初日こそ揺らがない信念があったために恐れはしなかったが、支柱を引っこ抜かれたに等しい今のクラレットには、その冷たさが純粋に怖い。
「……出過ぎた真似を致しました。申し訳ございません」
「何の話だ。……?」
怪訝そうなアポロの目が、足元に転がる鉄屑を見つける。
いっそう眉を寄せたアポロへ、クラレットは恐々と頷いて見せた。
「これは、私がしたものです。兵士が、罪もない民衆に手をあげていたので、思わず……」アポロがクラレットを睨むように見れば、微かに肩を跳ねさせながらもまっすぐに見つめ、頷いた。
「……」
「申し訳ありません、アポロ様」
「何を謝る」
「えっ」
呆けた声を出してしまったクラレットへ、アポロはふん、と鼻を鳴らす。
「我が国の民を守ろうとした結果だ。評価こそすれ、お前を責める謂れはない」
「アポロ、様……」
「だが、驚いたな。まさか俺以外にも、そのような力を持つ輩がいるとは」
口端を持ち上げるように、彼は笑った。
まさか、知らないと言うのか。クラレットが愕然と見やるが、彼はそれ以上を追及する様子もない。
「……魔術に長けた領地の、生まれですから」
思わず低く呟くと、アポロは少し驚いたようだった。わざとらしさが全くないところを見ると、本当に知らなかったらしい。
クラレットの中に湧いた疑問が、また膨らんだ。
「し、知らないと仰るのですか?」
「知らん。そんな領地があると知っていれば、とうの昔に我が物にしている」
「は……」
そこを攻めたのは貴方だ、と叫び出しそうになるのを、クラレットは寸でのところで止める。
彼の緋の瞳に、そこに宿る強い光に、嘘をついたり誤魔化したりする様子が一切感じられなかったからだ。
縋っていた最後の一柱が、音を立てて崩れるのをクラレットは感じた。
「……」
「ところでお前、何が欲しい」
「?」
「我が民を救った礼をしてやる、と言っている。望みを言うがいい。この国で俺にできんことなど、何一つない」
敵を牢へ入れ戻ってきた近衛らが、歓声をあげる民衆たちをそれとなく散らしていく。
そうしてクラレットとアポロ二人が残る中、そんな言葉が投げかけられた。
「……私は、礼が欲しくてやったのではありません。ですが一つだけ、許されるならお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何だ。言ってみろ」
「貴方は……」
クラレットが何か言おうとしたところで、低いうなり声が聞こえた。
街を巡回していただろう兵士のひとりが、慌てた様子でアポロの前に現れ、跪く。
「お話し中、申し訳ありません!アポロ様!」
「何事だ」
「魔物です!巨大な魔物が、すぐそこまで迫っています!」
それを聞いたアポロが、小さく舌打ちする。しかしすぐに外套を翻し、クラレットの言葉を無視するように大股で城門へと向かって行った。
城の方からも兵士が何人か現れては、怯え混乱する民を領地の奥へと避難させていく。
「……っ」
「クラレット様、お逃げください!」
「……いいえ、私も行きます。貴方達は、民の避難を」
「クラレット様!なぜ……!」
そう問いかけてきた者をよく見れば、城を出る前に彼女へ釘を刺した、あの兵士だった。
最初の頃の自分ならば、何故アポロと共に行くのか、疑問を持ったことだろう。
だが今は、はっきりとこう告げることができた。
「王が民を守るのは当然。なれば、例えアポロ様に認められておらずとも……仮初めの許嫁としては、王を支え、共に民を守るのは、当然ですから」
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