明日早いし一日レッスンなのに、興奮と緊張で寝付けないので、少しどうでも良い話をして気を紛らわそうっと。
ある通販のCM(皆さんご存じの…) を見ていたら、電子辞書のCMで。
二年ほど前に梅が教えていた、あまり勉強が出来ない中学3年生が居たんですが、
もう受験も間近に迫った時に、彼女はその高性能な電子辞書(書きこめて、しかも何十種類もの辞書が搭載されたもの)を、ほとんど使って無かったんです。
使い方もいまいち。
梅からしたら、あんな電子辞書を中学のうちから与えたら駄目になるよん。という←
梅は「今の生徒はね」と言いますが、
「最近の若い人はね」と言う方の気持ちが、少し分かる気がしました。
だって梅は中学までは完全!紙辞書しかなかったですし、(貧乏でしたから…笑)
でも、それが私にとっては幸運で、気づけばその中学時代に使った和英、英和辞典は、苦手な単語の多かったL・M・Nの所の索引の側面が、何度も調べて引きすぎて、まっ黒になっていたのは、今でもずっと宝物です。
それだけ「分からなければ、自分で調べる」が当たり前だったし、必死だったんだろうな、と…
私の持っていたその生徒は、沢山ある機能の中で、ごく一部しか、しかも滅多に使わなかったので、成績もほとんど上がりませんでした。。
宝の持ち腐れ…かなと悲しくなったを覚えています。
紙辞書は、しかも沢山良いところがあって、スペルを覚えるのに凄く頭を使うので良いのと、
調べたいものの開いたページに、似たような単語でも使い方が違ったり、意味は全然違う単語でも、同じ様なつづりの単語がぱっと目に入るわけで。
ということは電子辞書でぱっと知りたい物だけ見つけるのではなく、とても無駄そうでいて必要な情報を、一度にたくさん入手出来るんですよね〜
ちょうど最近見た新聞のコラムに、若者研究家さんの面白いコラムがありました。
「若者は、苦労という名の“無駄”をもっとしたら面白い」
ああ〜と共感しました!
例えば今はインターネットがあって、必要な情報は検索すれば出てきて、目的は果たせちゃいますよね。
でも昔はネットが無かった時代。情報入手は本屋さんとかだったんですね。
そうすると自分の調べたい物を探しているのに、全く違う分野の物が気になって読んでみたら面白くて買ってしまったり(笑)
でもそれが意外にも、自分にとって必要なものだったりすることもあるんですよね。
そういう“無駄”に見える苦労…自分で足を延ばして本屋さんに行って、いろんなものに触れてみる。これって凄くすてきだなあって思います。
私自身も忙しい中で、ネットで必要な情報を集めるだけの、便利さに頼ってしまいがちなのですが、
仕事でも、無駄に思えるような苦労を沢山しています。
それが私達にとって、最も大事な“最短距離”なのかもしれませんね。
……と、なんだか語ってしまいました。
眠れるかな…ちょっと文章にしたら落ち着いてきたので、眠れることを期待します^^