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24/05/15 11:39
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『経営に終わりはない』
藤沢武夫 著
この本すごく思い入れがありますので久しぶりに読み直してたら、皮肉にも仕分け作業で技術関係を窄めるニュースにただ笑った(苦笑)
藤沢武夫氏を知ってる方々は多いですかね(?_?)
日本の経営者で有名な方は松下幸之助氏、盛田昭夫氏などさまざまな方がいますが、オレの中では、藤沢武夫氏も尊敬する経営者の一人ですね(*^-^)b
どのような人物かというと、一言で言うと、本田宗一郎氏の生涯最高の相棒ですね。
本田宗一郎という天才技術者を経営面から支え、世界のホンダの基盤を造った人です。
実際、藤沢武夫氏がいなければ、ホンダはここまで有名にならなかったと思いますし、本田宗一郎と言う技術者もどこの街にもいるようなパンクしたタイヤを『シィーシィー』って意味わからん呼吸法をしながらパンクを直す自転車屋のオヤジとして埋没してたでしょうね。
ちなみに妙な呼吸法は実家の近所の自転車屋の亡くなった先代のクセですが(知らんがな)
そして、忘れちゃいけないのはこの方がいて鈴鹿サーキットがあるのです!
公道で猛スピードで走り事故って亡くなる若者を嘆き、邸宅を抵当に入れて鈴鹿サーキットを作った話は有名です(勿論、自社製品の走行テストもあるけど)
資本金を大幅に上回る価格で外国製工作機械を購入などハチャメチャな本田宗一郎伝説の逸話って本田宗一郎氏の独断と剛腕で行ったかのような感じで語られる場合が多いけど実際は宗一郎氏は常に藤沢氏に意見などを求めていた話がありますね、
信頼出来る参謀がキチンと背中を守って後押してくれたからこそ、こんな大胆な計画が出来たんでしょうね(笑)
本を読んでわかるのは、藤沢氏と本田氏がものすごい信頼で結ばれているということ。
正直うらやましくなってしまうくらいにお互いを信頼しきっています。
25年間一緒に仕事をし、辞めるときも一緒にやめています。
キチンと後輩育成をして自分が居なくてもやっていける。そう判断して会社を辞めた姿に当時は最高の引退劇とも云われてますね
後年いろいろ、本田語録などは藤沢武夫氏が脚色したとか云われますが
たぶん、
本田宗一郎と言う偶像を作り上げるための肯定的善だとオレは思っちゃいますけどね(笑)
どんな思惑があるにせよ…やはり、カリスマ性がある方を偶像化するのは今も昔も変わらない光景だからねぇ〜(爆)
最後にこの本を読んで、衝撃を受けた言葉です。
藤沢さんが東京で町工場をやっていたとき、本田宗一郎という、当時浜松で有名だった人がお金を出してくれる人がいないかと探していると知り合いから聞いていった言葉。
『おれ、それやるよ』
と即座に言ってしまった。
『おれは金を持ってないけれど、金はつくるよ。
金のほうを受け持って、いっしょにやってみたい』(P17)
ついでに本田宗一郎氏が語る藤沢武夫氏との出会いも引用させていただきます。
私(本田宗一郎)は、藤沢君(藤沢武夫)を1目見て、『これはすばらしいヤツだ』とすっかりほれ込んじゃった。
藤沢君もきっと同じだったろうと思う。
理屈抜きで、そういうものが同時にひらめいたときに、初めていいコンビが組めるんですよ。
人を見抜くカンというのは、人生を苦しんで渡ってきた人間じゃないと働かないものだ。過去にさまざまな体験をして、自らの長所と欠点がだんだん分かってくると、自分にないものを相手に求めたくなるものです。
そういう人間にめぐり逢ったときの感じは、口では言えないな。
最初の1年間は2人で暇さえあれば理想を話し合っていたね。それが本当に楽しかった。
本田宗一郎『一日一話』より
Σうぉ!
プロジェクトXをみたくなって来た(鼻血)
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