嬉しかったこと書こうと思ったけど、他に書きたいことができました。
アンケートのことです。
アンケートって怖いです。アンケート自体が誘導尋問だったり、作者の意図が見え隠れしていたり。
私も大学のゼミでアンケートを作ったことがあります。
ここではそのアンケートの内容は伏せますが、アンケートを作るということは、それを通して何かを見出したいっていう目的があって、こころの中に「こうなってほしい」「こうなるだろう」が絶対あるんです。
私の場合、お金が絡むわけじゃなかったし、どう転んでも結果報告はできるからどうでもいいやっていう感じだったので、そういう気持ちは少なかったかもしれません。
アンケートも事前にいろんな人にやってみてもらって、何回も作りなおしました。
でも、こうなるんじゃないかな?と思った結果になりました。
アンケートを作る上で作者の主観を完全に取り除くことは不可能だと思います。
だって人間は心で行動する生き物だから。
そしてそれに答えるのも人間。十人十色。
それから本音と建前。
だからアンケート回答時の方法、場所、時間にも左右されます。
回答する人にも偏りが出ます。
たとえばスーパーで試食会をしてその場でアンケートに答えろと言われたら、タダで食べさせてもらったし、できたてでおいしかったし、スーパーのおばちゃん頑張ってるし、すぐおばちゃんがアンケート見るしで、ほとんどの人がおいしかったと答えるでしょう。
通販の商品でお客様満足度97%とかあるけど、回答した人はどんな人だろうとか、どういう方法でとったんだろうとか考えたことはありますか?
通販の商品で気に入らなかったら返品できたりしますが、返品した人にはアンケートしていなかったらどうですか?アンケートに答えたらいいものあげると言われたらどうアンケートに答えますか?アンケートに答えた人は何人ですか?匿名性はありますか?
疑問点は挙げだしたらきりがありません。
アンケートに答えて下さいとお願いするときも同じです。アンケートを取る人がどういう立場か、それを知っただけでも回答が変わります。
さらさらと書けるアンケートは怖いです。もしかしたら書いた後には「あれ、そんなこと思ってたんだ私
」と感じるかもしれません。
人の感情が入ってしまうのは科学の世界でも同じです。
私は理系なので、もちろんたくさん実験をします。
その時に、やっぱり「こうなってほしい」が結果に表れてしまうんです。
全てが機械じゃないので、顕微鏡をつかって自分の目で見たり、メモリを自分で読みとったり、そういうときに、都合よく見えてしまうのかも知れません。
説明はつかないけれど、なんとなく思い通りになってしまいます。
そこで実験には「再現性」という「誰がやっても結果は同じ」というものが重要になります。
でもそこに、権力や、プレッシャーや、誰かの思惑があったら?
言い出したらきりがないです。
もうひとつ、人が絡むと面倒くさい話を。
本当はブルーベリーが視力を良くする確証は得られていないそうです。視神経系の活性化は確認されていますが視力向上とは関連付けられていないようです。
でも、人間を使って実験すると、ブルーベリーを食べると視力が良くなるという結果が得られるのです。
これは、実験に参加する前から、ブルーベリーは目にいいんだとみんな一般常識として認識しているし、実験する側に「これは目にいいとされているから」と言われたら、目がよくなっちゃう感覚になります。
もしかしたら、実験者に「ブルーベリーは目に良くないことを証明したい」とそれなりの根拠を挙げて説明された後だったら、被験者の結果は変わるかもしれません。
ということは、逆に、「思いこみ」で大概のことはできちゃくかも!ということです。
人の「思いこみ」は怖いです。
思いこんでいることに気付けないし、指摘されても自分が分かっていないから納得できません。
そんな私もきっとたくさんの「思いこみ」で思考が成り立っていると思います。
じゃあ誰が真実を教えてくれるのかって思うし、
名探偵コナンは「真実はいつもひとつ!」とか言ってるけど、いつもそうとは限らないんじゃないかと思います。
人間は真実を作ってしまうことができるからです。
「常識=真実」となってしまう世界だからなおさらです。
それなら自分の都合のいいように思っておこうということです。
思いこみで「神頼み」「おまじない」「お守り」を信じるのは自分のため。
よりどころを求める人間の当たり前の姿。←神様にばちが当たる。すみません。
「信じる者は救われる」からそれでいいんです。
でも、何を信じますか?
誰を信じますか?
「信じる人」が「好きな人」とは限らないのが人間です。
自分から不幸になりたいのか、悲しくなりたいのか、不安だからか、
なんでかは分からないけれど、「嫌いな人」の言葉を「好きな人」よりも信じることがあるんです。
そして、全ての物事には理由と目的があるということです。
とうてい考えられない人数の様々な欲望や思いが渦巻いて絡み合っているこの世界。
ひとつひとつ、目に見えるものに、その欲望やエゴや意図が乗っかっているんです。
そして、知らず知らずのうちにそれらに感化される。
本当に知らず知らずのうちに。
毎日毎日その繰り返し。
友人から、家族から、TVから、ネットから、新聞から。
全部そう。
だから、たまに落ち着いて、考えてみましょ。
時が流れると考えも変わります。
当たり前です。
でも、何が変えたんでしょう?
その時その場所で起こったことは一つなはずなのに、どうしていろいろな説が出てくるのか。
やっぱりそこに人の思惑が潜んでいるからなんです。
なんで、最初は東方神起5人が好きだったのに、今では、そのうちの2人が、3人が、もしくは1人、4人が嫌いになってしまったんでしょう?
どうして悪口を平気で言えるようになってしまったんでしょう?
Always keep the faith
言うのは簡単です。
でも、あなたの信条って何ですか?
信条って簡単に変わっちゃうものですか?
簡単に変わってしまった信条、それを正当化して5人に押し付けていませんか?
嫌いになるのはその人の自由です。
でも、それを感情に任せてネット上にばらまいていいんですか?
大好きだった人のこと、なんで大嫌いになってしまったのか、考えたことはありますか?
一度好きになった人のことそんな簡単に大嫌いになっていいんですか?
それでも嫌いなら、しょうがないです。
でも、ネット上にばらまいて、都合いいように書いて、他人の感情をコントロールする権利は無いと思います。
そして、いろんな思惑が渦巻く中、信じる人や情報元が変わってしまうくらいなら、昔好きだった東方神起のことを好きなままでいたほうがいいと思います。
自分勝手に見える情報に感化されるくらいなら全て看過しちゃいましょ。
(うまいこと言ったなんて思ってないですよ?w←)
そして複雑なこの世界だもん、長い目で見たほうがいいです。
今日明日で何かが劇的に変わるとは思えません。
「東方神起を全てにしないで」チャンミンの言葉が思い出されます。
自分の生活を大事にしながら長い目で愛する人たちを見守っていきたいです。
愛してるが故、心配になる故、考えすぎちゃって、思いこんじゃって、知らず知らずのうちにだれかを嫌いになっていた。そんなの悲しすぎるる。
私も、ビックリするくらい東方神起が大好きみたいです。心配でたまらないです。
でも
私は、
ユノが好き。
チャンミンが好き。
ジェジュンが好き。
ユチョンが好き。
ジュンスが好き。
もう、それだけでいいです。
いろんなものを介した言葉を信じて落ち込むくらいなら、今はただ5人を見守っていこうと思います。
私もいちいち落ち込んできたし、また落ち込むと思うけれど、きっと大丈夫。
そう思った。
ひとりごとです。
見てくださったあなたに「なんで悪口ゆうの!」
なんて言っているわけではありません。
ごめんなさい><
書かずにはいられなかったので。。。
でも、これ最後まで見てくださった方いたらすごいww
意味分からん文章でしたねごめんなさい。
そんなあなたも、私の記事を鵜呑みにしないほうがいいかもしれませんね?←
(いや、情報操作は少なくともしていません多分)
とりあえず、凡人ユキちの一意見ということであります。
それ以上でもそれ以下でもございませんあしからず。