心臓が、止まる音がした
って言うのはなんだか可笑しい表現のような気がする。
毎日が同じ事の繰り返しで
凄くつまらない。けれど別に刺激と言うものが欲しいわけでもなくて
なんと言うか、兎に角世界がくすんで見えるのも陳腐な言葉が世界を巡るのも、そもそも人間が愛だとかなんだのを呟くのも、全ては人間が動いているせいなのではないだろうか。
私の心臓が止まる時。
多分、私はそれを自分の事なのに高みの見物のような感覚で捉えるだろう。
寂しくなどない
ただ、淋しいだけだ。
ほわほわ ゆるゆる
わたしときみの きょうつうてん なんて あってないような そんなもの で。
だいすき で ゆいつ わたし が 泣ける相手
ほんとうに だいすき だから たよりたくないし よわいとこ も みられたくない
でも ねこさんは わたし を いちばん しってる あいて だから いちばん しんらい してる あいて だから
みせてしまうし
魅せられる。
ねこさん が だいすき
いちばん だいじ な おともだち
いもーと より だいじ な おともだち
たいせつ だいじ たいせつ
全部 陳腐な言葉 だけれど
表す言葉 は 此らしか ない
あかぎれが、出来た。
右の人差し指の第二関節のところに。
ぱっくりと、ただただ、ぱっくりと。
あかぎれをまじまじと見ると何だかよく分からないのだけれど、笑いが出た。
右頬が若干引きつっているのが分かる。
わたしが右頬をひきつらせて笑う時。
それは、小馬鹿にしたとき、だ。
わたしは今、自分を自然に、自分で知らないうちに、小馬鹿にしていた。
そんな事を考えていたら、また右頬が引きつっているのがわかった。そして、わたしの
あかぎれが、
引きつって、