口の中で弾ける感覚に思わず目を瞑る。耳が拾う口内の音は、静電気のように細やかで弾け飛んでいた。刺激は心地よいくらいで、癖になりそうだったりする。味はゆっくりやってきた。キャンディの仄かな甘味と、レモンの爽やかな酸味が、清々しい。
味の正体はチョコレート菓子、レモン味のチョコに、弾けるキャンディをばら撒いている。近所の商店街にあるキャンディファクトリーの新商品だ。夏季限定と銘打っていて、あともう2つしか残っていなかった。もちろん、毎日追加はされるけど。放課後のこの時間まで残っていることはすくない。それに今は夏休みで、余計たくさんの人が買いに来るから、奇跡の2つといっても過言でもない。
俺は、そんな幸運なチョコレートのうち1つを食べてしまったわけで、残り1つをどうしようか考え中。
この味を分かち合いたい相手は一人だけいて、でも、その人とはなかなか会えない。会いたい時に、電話すれば会えるような関係ならいいけど。手持ち無沙汰にスマホをいじる。SNSにも連絡先にも、名前はない。最近、番号変えたんだ。そんなたわいのないことですら共有できないのは悔しい。いや、あの人は今逃亡中だから、気軽に居場所を晒せない気持ちもわかるんだけど。
今日はこんなに運が良かったのだから、もう少し幸運が舞い込んでくれればいいのに。チョコレートが恨めしくて、こんなものにラッキー使わなければ良かった。けど、このチョコの味は、確かにキスの味によく似ている。キスだけじゃない。情事にも似ているし、会えない距離のもどかしさにも似ている。俺と、あの人の味によく似ているんだ。
夏至からしばらく経って、ちゃんと夜は夜になってくれている。ぼやぼや出始める夏の星たちを見上げて、ため息をついた。
「ため息をつくとますます幸運が逃げるんじゃないのか?」
「それはそうだけど、しょうがないじゃんかYO……って、アスモダイ」
「もう家に入る頃じゃないか、テツヤ。夜は悪魔の時間だぞ」
「たしかに、そうだけさぁ……」
「待ち人来ず、か」
「待ってないYO、ただ、会えたらって思うだけ」
俺のバディ、アスモダイは俺を抱え上げる。顔を近づけられても、別に抵抗はしない。優しそうに笑ったアスモダイを見下ろして、首を傾げた。
「その気持ちがもはや、待ってるんだ」
夜風が突然強くなって、その言葉を強烈に印象づける。俺は、もう何も返せずに、ただ口を噤んだ。
そう、待っていた。今だって、待っている。俺は、あの人に会いたくて、仕方ないんだ。なんとか色々言い訳しても、会いたい気持ちは消えてくれない。
空に星が現れ始めて、途端にその気持ちが強くなった。どうして会えないの、こんなにも俺は会いたいのに。心の中で呟いたとしても、あいにく答えは返ってこない。寂しくて、無力で、俺はただ、手の中にあるレモンチョコレートを眺めた。
コンビニで妙な新商品を見つける。
レモンクリームソーダ、パッケージは遠く離れた地にいる、恋人を思わせる色使い。思わず手に取り、レジに出していた。店員は、おどおどして接客をする。黒い瞳が不安げに揺れるのが、確かにわかった。奪うように商品を受け取ると、控えめに「ありがとうございました」と言われ、本来はマニュアルに則った言葉だが、その男の言葉はどうも、心に響いた。
店を出ると、外は朝焼けに包まれていた。かすかに明るい白ずんだ空は、まるで自分とは正反対で、夜に紛れるように生きているこの俺を、厄介なくらい目立たせていた。
コンビニ袋を下げて歩きながら、遠く離れた恋人を思う。自分が、ここまで焦がれているとは思わなかったし、でも確かにこの想いは偽りでなく真実だ。俺は、今、会いたい。
駅前の時計が時刻を表示する。デジタル式で、午前4時半を示し、日付は8月2日。そうか、今日はもうその日か。
買ったクリームソーダの蓋を開けた。この手の商品はあまりレモンを感じさせない、独特のレモンの爽やかな酸味は匂いでは現れず、口をつけてようやく甘みの中に少しの酸味を感じることができた。
あまり強くない炭酸は、味を邪魔しないくらいで、よく考えられている。見え隠れするクリームの味が、ある種の幼さを助長した。含み笑いをしながら、口を話す。そうだ、この味も、あいつに似ている。
心なしか会いたい思いが増してきた。この時間の超渋谷にいる訳がないが。ただ、なんとなく会える気がする。大通りを抜けて、路地裏へ。路地裏を抜けて、歩いていけば、大都会から一転住宅地へ入る。ここを歩くのは、久しぶりだ。誘われるようにどんどん向かうと、途端、レモンの香りが強まった気がする。そう、この味は、あいつの味で、俺たちの味。
黒岳テツヤは、玄関から外に出た。お気に入りのパーカーを放って、Tシャツ一枚で、なにか急いでいる様子だ。テツヤは、冷やし固めたレモンチョコレートを持ち、そうして大都会の裏にある住宅地を走る。
家を出て、二つ角を曲がり、通りの方へ向かう道を歩く最中。突然何かを感じて、踵を返す。大きな会社の前にある花壇。今の季節なら、黄色の花が満開の季節。ひまわり。
「荒神、せんぱい……」
待ち人来ず、ならば会いに行けばいい。未だ気づかずひまわりを眺めるその背中に、思いきり飛びつく。驚いてこちらを向く、その前に、テツヤははしゃいだ声で言った。
「先輩!荒神先輩!!」
がっしりとした体つきに手を回す。テツヤの声に、ロウガは僅かに笑った。
「お前か、」
「うん、俺!」
汗ばんだ腕がようやく繋がり、ロウガの胴に綺麗に抱きついたテツヤは、そのまま頬をロウガの背に寄せて、グリグリと何度か戯れた。ロウガもどうも、その仕草が可愛いらしく、テツヤの背に手を回して撫でる。次第にくるりと体制を変えて向き合うと、ロウガは屈み、テツヤは踵をあげて背伸びをする。そして、唇が、触れ合うか、触れ合わないかのときに、お互い、あの味を思い出した。
それは。
弾けるキャンディが、衝撃的で。テツヤは薄く目を開き、ロウガの顔を見つめる。整った顔立ちに胸が鳴った。仄かな甘さと、レモンの爽やかな酸味が、ちょうど、テツヤの好みで。
香りはしないのに確かに味のする。ロウガはテツヤの頭の後ろを手で支え、自分の方に引き寄せる。呆気なく、力に逆らえない様が、可愛らしくて、つい舌を出していた。甘味と酸味と、それから炭酸の刺激を、クリームの幼さが包み込むような、ロウガの想像通りのそれ。
あぁ、そっか。キスの味でよかったんだ。
唇が触れ合うとすぐに、お互いの口を貪るように舌を動かした。会えてない時間に勝るキス。テツヤの小さい舌をロウガが絡めとる。深く深く口づけを交わすうちに、息を忘れてしまい、テツヤはがくんとロウガに倒れこむ。唇をはなして、ようやく冷静になったロウガは、テツヤの背に手を回して抱き上げた。
「黒岳テツヤ、平気か」
「ん、ぅん……あ、ね、先輩、」
「どうした?」
ひまわりの咲く花壇の前で、ロウガに抱きかかえられながら、テツヤは自分のズボンに入れてあったチョコレートを取り出した。
「これ、あげたくて」
「チョコか」
「うん……あの、キスの味がするんだYO」
キスの味、ロウガが目を丸くすると、テツヤはロウガの手からチョコレートをかすめ取る。そして、丁寧に包装を解き、少し溶けたチョコレートをロウガの口に放った。突然飛び込んできたチョコレートが、弾け出すものだから、ロウガは驚いて、目を開く。しばらく破裂音を耐えると、ようやくレモンチョコレートの味がハッキリとしてきた、テツヤは気に召したようだが、ロウガにはさっぱり良さがわからない。
「荒神先輩の味だYO」
「それでか、」
自分で自分を喰らうほど、ロウガはまだ落ちぶれていなかった。ただ口の中にレモンチョコレートがあるのは癪だから、ロウガは再びテツヤにキスをする。そうして、チョコレートを口移しで与えながら、本当のキスの味を、深く深く彼に刻みつけた。
生憎、時刻は早朝。誰もここを通らない。
ひまわりだけが見ていた二人の逢瀬を、咎めるものはどこにもいなかった。レモンのような爽やかで甘酸っぱいキスを交わして、彼らは再び日常へと戻る。でも。
今日くらいは、一日中ずっと一緒にいてやろう。
今日くらいは、一日中ずーっと一緒にいれますように。
その日の夜、ベッドで目覚めたテツヤは、ロウガの用意していたレモンのフルーツウォーターを口にして、不味いとひどく後悔した。