今日は少し帰りが遅くなってしまった。
溜息を一つ漏らし、空を見上げる。
すっかり暗くなり、月が輝いている空。
それを見て漆黒の瞳を細めた少年はほんの少しだけ、歩みを速めた。
こつり、こつり、と響く音は、彼……クロウの杖の音。
足が悪い彼は、自分の足だけでは歩くことが出来ないのだ。
足が悪い、まだ幼さの残る少年……そんな彼が一人歩くには、この街の治安は正直良くない。
尤も、彼は魔法が得意で、そう簡単にスリだの強盗だのに遭うような人間ではないのだけれど。
とはいえ、あまり遅くなると"家族"が心配する。
故に、彼は足を速めたのだった。
慣れた動作で住処の結界を解き、屋敷のドアを開ける。
ふわり、と漂ってくる良い香りにクロウは目を細めた。
キッチンに立ち、調理をしていた少年……スワローは目を細めつつ、ひらりと手を振った。
「お帰り、クロウ」
「ただいま、スワロー。遅くなってすまない」
クロウが詫びるのを聞いて、スワローは笑いながら首を振った。
「大丈夫だよ、俺もさっき帰ってきたとこ。
今日は卵いっぱいもらえたからオムライスにしようと思ってさ」
そう言って目を細めるスワロー。
彼は最近、街の料理屋の手伝いに出かけている。
初めこそ警戒され、断られていたらしいのだが、真剣に頼み込み、受け入れられた後はなかなかに重宝されているらしかった。
給金は決して高くないらしいのだが、その代わりに時折余った食材などを貰って帰ることが出来るのがありがたい、と彼は言っていた。
どうやら今日は卵を貰って帰ってきたらしい。
机の上には籠に入った卵が沢山あった。
「そうか。スラッシュたちが喜ぶな」
クロウが目を細めながらそういうと、スワローは悪戯っぽい笑みを浮かべて、首を傾げた。
「お前は?」
そんな問いかけに、クロウは真っ黒の瞳をぱちぱちと瞬かせる。
視線を彷徨わせた彼はそっと息を吐いて、ぼそりと呟くように言う。
「……俺も、好きだが」
「ははっ、良かった」
クロウの反応を見て、スワローは満足気に笑う。
この無邪気な料理人は、家族の一人が旅立ってから、時折こういう軽口を叩くようになった。
きっと、まだ幼い"家族"の寂しさを埋めるために始めたことなのだろうけれど、それにクロウも救われている部分があった。
と、軽い足音がリビングルームに近づいてきた。
ドアが開いて、小さな二つの影が入ってくる。
「あ、クロウも帰ってきてる!」
ぱっと顔を輝かせた茶髪の少年……スラッシュの頭には綿埃が乗っている。
「お帰り、クロウ」
無邪気に微笑んで駆け寄ってきた夕焼け髪色の少年……ロビンの頬は薄く汚れている。
そんな彼らを見たクロウは"ただいま"と返した後、苦笑混じりにそんな彼らに言った。
「埃塗れだぞ」
一体何をしていたんだ、と問われて、スラッシュとロビンは顔を見合せる。
それから小さく笑って、肩を竦めた。
「部屋の掃除してたんだ」
「シュライクの部屋。ずっと人が居ないと家や部屋は荒れるってイーグル、言ってたからさ」
そう言う彼らの表情はほんの少し寂し気に翳る。
「シュライク、元気かなぁ」
ぽつりと呟くのはロビンだ。
旅立っていった家族……シュライクと一緒に居ることが多かった彼。
思い出すと寂しくなってしまうのは仕方がない。
それに気付いたクロウはほんの少し、言葉に迷うように視線を揺るがせた後、言った。
「なるほどな、ありがとうな」
そう短く礼を告げることしか、結局できずもどかしい。
寂しがる年少者たちにかけるべき言葉がうまく思いつかなかった。
ぽん、と手を打つ音が響いた。
キッチンに立っていたスワローが手を叩いた音。
「さ、じゃあ手洗ってこい、飯にしようぜ。今日はオムライスだぞ」
「えっ、ほんと?!」
「やったー!」
パッと顔を輝かせた幼い子供たちはぱたぱたとバスルームの方へ走っていく。
少し離れたところから聞こえる無邪気な笑い声に小さく溜息を吐いて、クロウは言った。
「すまないな、スワロー。俺は、どうにもああいう時の言葉かけが下手だ」
クロウがそう言って溜息を吐くと、スワローはひらひらと手を振った。
「いーんだよ。こういうのは適材適所、っていうかさ。
寧ろ俺のフォローで大丈夫だったかな、とも思うしさ」
そう言って、苦笑を漏らしつつスワローは肩を竦めた。
一人分ずつのオムライスを仕上げながら、彼は言葉を続けた。
「頑張って送り出してはいたけどさ、やっぱり兄貴分が減るってのは彼奴らにとっては寂しいだろうし。
ふとした時に思い出して寂しくなっちゃうのはある程度仕方ないことだろうからさ」
そう言う時にはうまくフォロー出来たら良いなって思うんだ。
そう言いながら、彼はくるりとチキンライスを薄焼きの卵で包んだ。
クロウはその様を見て目を細めると、小さく首を傾げた。
「……お前は?」
「へ?」
きょとんとするスワローを見つめながら、クロウは言う。
「お前も、寂しいんじゃないか、と」
そんな彼の言葉にスワローは大きく目を見開いた。
そして、ぐしゃりと髪を掻き揚げながら、苦笑を漏らした。
「……ったく、仕返しか?」
「ふ……」
小さく笑ったクロウは目を細めて、言った。
「フォローはあまり得意ではないが、話を聞くことは出来る。……だから」
「あぁ、わかってるよ。……頼らせてくれ」
そう言って笑うスワローの眉は少し下がっていて。
けれどきゃらきゃらと笑う二つの声が近づいてくるのを聞いて、いつも通りの明るい笑みに戻す。
「じゃあ手始めに、あの二人の分のオムライスに可愛い絵でも描いてもらうかな、クロウ」
「な……」
「頼って良いんだろ?」
悪戯っぽく笑ってウインクをするスワロー。
クロウはそれを見て、困ったように、けれど確かに嬉しそうに笑ったのだった。
―― 居場所を守る小鳥たち ――
(いつでも彼が戻ってこられるように)
(寂しいけれど永遠の別れではないから。
笑ってお前を迎えられるように、俺たちも笑っているよ)