小さく鼻歌を歌いながら少年は歩く。
柔らかな緑の髪が揺れる。
色の違う瞳はおだやかに細められ、その華奢な腕には大きなぬいぐるみが抱きしめられていた。
鼻歌、というのは少し違う。
少年が紡いでいるのは、古い詩に節を付けただけのものなのだから。
「Who killed Cock Robin?(誰がコマドリを殺したの?)」
鼻歌めいた節で少年は歌う。
吹き抜けた風が柔らかく、彼の癖のある髪を揺らしていった。
「"I", said the Sparrow(私よ、と雀が言った)」
ちょうど雀がさえずり、飛んでいく。
まるで少年の言葉に不服を唱えているかのようだった。
しかしその少年は、歌の意味も大して理解をしてはいない。
「 With my bow and arrow, I killed Cock Robin. (私の弓と矢で、コマドリを殺したの)」
そう、一節歌い終えると、少年は軽く伸びをした。
それから、きゅっと自分が抱いたぬいぐるみを抱きしめて、呟く。
「ふふ、ロビンだって。
君と同じだね、ロビン」
勿論君を殺したりはしないけれど。
そう呟いてから、少年……ラークは微笑んで、青空を見上げた。
彼がこの城に来てから、大分経つ。
明るく美しい、この城に。
ずっとずっと、屋敷の地下室で育てられた、ラーク。
彼は薄暗い地下室しか知らなかった。
外の世界を知る手段は、両親に渡される本だけで。
先刻歌った詩も、その中で知ったもの。
その詩の意味は、よく理解出来なかった。
だって彼は、その本を与えられただけなのだから。
誰も教えてくれなかった。
誰も見せてはくれなかった。
誰も知らせてはくれなかった。
外の世界を。
けれどもラークは幸せだと思っていた。
鳥かごで生まれ、鳥かごで育った小鳥がその生活を受け入れてしまうかのように。
しかしラークは、外の世界を知った。
屋敷が燃えて。
地下室から抜け出して。
彼は外の世界を見たのだ。
青い空も。
緑の森も。
真っ白い雪も。
はじめて、実物をその目で見た。
駒鳥(ロビン)も初めて見た。
愛らしい小鳥の名をくまのぬいぐるみに付けるというのもおかしかっただろうか、と思ったりもした。
そう思えるのもこうして外に出られたからだ。
そう思いながらラークはおだやかに微笑んだ。
と、同時。
「ラーク!」
聞こえた声に顔を上げる。
すると軽く手を上げる、亜麻色の髪の少年の姿が見えた。
ラークはその姿を見てぱぁっと表情を明るくすると、ロビンを抱いていない方の手を振った。
近づいてきたのは、美しい騎士……フィア。
サファイア色の瞳が穏やかに細められている。
「散歩に出ていたのか?」
「えぇ、お外に出たくて。
フィアさんは任務終わりですか?」
お疲れ様です、といってラークは微笑む。
フィアは彼の言葉に"ありがとう"と礼を言いながら、そっと彼の頭を撫でてやった。
「寒くないか?」
きちんと暖かくしないと駄目だぞ。
そういいながらフィアは軽くラークの鼻先を小突いた。
暫くそうして外を歩いていたからか、鼻先は赤くなっている。
つつかれるとくすくすと笑って、ラークは言った。
「大丈夫ですよ、ね、ロビン」
そういいながらラークは腕に抱えたぬいぐるみを見た。
ロビン、と名を付け、連れ歩いているぬいぐるみ。
それが自分の友人だと、彼は言っていた。
そんな彼の様子が何だか悲しく感じるが……彼本人がそれで幸せそうなら良いか、とフィアは思い、息を吐き出した。
とはいえ、だ。
一人でこうして居るのもきっと、退屈だろう。
そう思いながらフィアは、彼にいった。
「一緒にお茶の時間にしないか?」
彼にそう誘われると、ラークは嬉しそうな顔をして、何度も頷いた。
「連れていってください、一緒にお茶、嬉しいです」
わぁい、と子供らしい無邪気な声をあげる。
フィアは彼の様子に微笑むと、その手を握ってやった。
「じゃあ、行こう」
「!ありがとうございます!」
嬉しそうに握り返してくる手は冷たい。
フィアはそれを温めるように握ってやりながら、小さな彼の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いたのだった。
***
「嬉しいなぁ……」
隣の椅子にロビンを座らせ、甘くした紅茶を一口飲んだラークは幸せそうに微笑む。
彼の前にはクリームのたっぷり乗ったケーキ。
それにフォークをいれながら笑っている彼を見ながら、フィアはくすりと笑って小さく首を傾げた。
「どうしたんだ、いきなり」
そんなに美味しかったか?
そう問いかけながら、フィアはブラックコーヒーを一口飲む。
甘いケーキに対照的な苦味が、フィアにはちょうど良かった。
ラークは彼の言葉にゆっくりと首を振る。
それなら?とフィアは不思議そうな顔をした。
そんな彼を見つめて、ラークは微笑みながら、言った。
「フィアさんとこうして一緒にお茶が出来て嬉しいんですよ」
「え、俺と」
少し、意外だ。
そう思ってフィアは瞬きをする。
ラークはおだやかに微笑んで、頷いた。
「貴方とお茶が出来るのは、とても嬉しいんです。
僕にとって貴方は、神様ですから」
「神様?俺がか?」
ぱちぱちと瞬きをするフィア。
すっかり驚いた様子の彼を見てラークは何度も頷いた。
それから一瞬、どこか遠くを見るような表情を浮かべて、言った。
「フィアさんが助けに来てくれなかったら、僕はきっとずっと地下室……
ううん、下手をしたら死んでしまっていたかもしれませんから。
僕は死ぬということがよくわからないけれど……」
きっと、それは怖いと思うから。
そういってから彼は表情を綻ばせた。
「だから、僕を見つけ出して、助けだしてくれた貴方に感謝しているんです」
だから、神様、なんですよ。
そういって笑うラークを見てフィアは一瞬サファイアの瞳を見開いた。
それから、少し照れたようにそっぽを向き、溜め息を一つ。
「……俺は、騎士としての務めを果たしただけだから」
そういう彼の頬は薄紅に染まっている。
ラークは彼の横顔を見るとくすくすと笑いながらケーキを口に運んだ。
「甘い、美味しい……ふふ、幸せ、です」
「……それは、良かった」
助け出して良かったと、そう思える。
フィアはそう思いながら目を細めた。
彼が住んでいた屋敷が火事になったあの日。
唯一の生き残り、それがラークだった。
親も死に、兄弟も死に、そんな中で一人生き残った。
それを知ったラークが自分を恨むことも考えていたから。
だって、自分がそうだった。
一人生き残ってしまったことを嘆いた日があったから。
いっそ両親と一緒に死んでしまいたかったと思ったその時があったから。
だから、だからこそ。
彼がそうして、今生きていることを喜んでくれたことが嬉しくてならないのだ。
―― きっとこれから……
彼にはたくさんの、困難がふりかかるだろう。
彼は、有名貴族の長男、しかも唯一の生き残りなのだ。
彼を利用しようとする者も多かろう。
彼を陥れようとする者も多かろう。
けれども彼には、幸せでいてほしい。
フィアはそう思いながら一口、コーヒーを口に含む。
口に広がる苦味。
今日は少し、砂糖を入れようか。
そう思いながらフィアはそっと、目を細めたのだった。
―― 貴方は僕の… ――
(鳥かごで育った雲雀は外の世界を知る。
それがとても美しいものなのだということを)
(僕に外の世界を見せてくれた貴方は僕の神様だから。
そういって微笑めば、彼は蒼い瞳を穏やかに細めて)