部屋に吹き込む風は少しずつ冷たさを増してきている。
つい先日までは体が焼け焦げるのではないかと思うような気候だったのに、最近特に朝晩は、まるで冬なのかと思うほど涼しくなっていた。
そんな穏やかな気候。
その中で、少し静かな食堂で時間を潰すのはなかなかに贅沢な時間だと思う。
自分がずっと暮らしてきた天界も、静かで穏やかな空間ではあったが、今思えばあれはある意味、"異常な"空間だったのだろう、と思う。
作られたおだやかさ、とでもいおうか。
それを脅かしうるものを片っ端から排除した結果の穏やかさ、平和、なのだということを今は理解している。
用意した紅茶を啜り、メイドに貰ったクッキーを齧る。
程よく甘いクッキーと砂糖を少し控えめにした紅茶。
うん、こんなティータイムも悪くない。
そんなことを天使……サーレルが考えていた、その時。
「サーレル」
声をかけられて、そちらを見る。
そこには自分と同じように隻眼の少年が居た。
「あぁ……シュタウフェンベルク。
仕事が終わって帰ってきたのか」
そういって、サーレルは彼に笑いかける。
するとシュタウフェンベルクも穏やかに笑って、頷いた。
「あぁ。話をするのは、久しぶりだな」
確かにそうだ。
彼を見かけることはしばしばあったが、声をかける機会はなかなかなかった。
シュタウフェンベルクは苦笑を漏らして、いった。
「ここ最近は忙しくてな……」
のんびりする暇もなかったよ。
シュタウフェンベルクはそういって肩を竦める。
サーレルはそれを聞いて金色の瞳を細めた。
「なるほどな」
確かに、彼は忙しかろう。
ただでさえ頭が良く、人望もあり、戦闘も得意なのに、それに輪をかけて彼は破魔の魔力を有している。
そんな彼はきっと、仕事も多かろう。
そう思いながらカップを傾けていたサーレルはふと、口を開いた。
「……なぁ、祓魔師殿」
「?どうした」
いつもと違う呼びかけに、シュタウフェンベルクは不思議そうな顔をする。
こて、と首を傾げる彼を見つめながら、いった。
「お前は、あの悪魔と変わった約束をしているようだな」
そんな彼の言葉にシュタウフェンベルクは一瞬目を丸くする。
それから少し複雑そうな表情を浮かべた。
「……エビルの、ことか」
そう問い返す彼。
サーレルは小さく頷いて、いう。
「あぁ。これでも天使だからな、お前たちの中にある奇妙な絆は何となくわかる。
変な約束を交わしているだろう」
シュタウフェンベルクは黙り込む。
確かに、エビルと約束を交わしている。
それが奇妙だと思われるであろうこともわかっている。
けれど……頷きたくなかった。
変、だなんていわれたくなかった。
しかしサーレルはそれを気にした様子もなく、言葉を続けた。
「……どうしてそんな約束を交わした?」
「え?」
どうして。
そう問いかけてくるサーレル。
シュタウフェンベルクはただ瞬きをする。
今一つピンと来ていない様子の彼を見て、サーレルは目を細めながら、いった。
「あぁ、じゃあ、言い方を変えようか。
まどろっこしいのは好きではない。
……俺が、その役目を負おう」
「え……」
今度こそ、その言葉の意味……否、意図が理解出来ず、シュタウフェンベルクは目を見開く。
そんな彼の反応を楽しむように目を細めながら、サーレルはいった。
「悪魔に祓魔師が、或いは祓魔師が悪魔に味方するというのは、やはり奇妙なことだろう。
世間の目も厳しく、険しくなることは目に見えている。
それならばどうだろう、天使である俺とならば?」
それならばどうだろう?
そう問いかけるサーレル。
返答に詰まるシュタウフェンベルクを見て笑いながら、彼は言葉を続けた。
「きっと、悪くはいわれまいよ。
俺はお前が背負う因果など知ら無いけれど、俺があの悪魔の代わりを果たしてやろう」
そういいながら彼はシュタウフェンベルクに向かって手を差し伸べる。
鮮やかな金色のカラーコンタクトの向こうに、彼の本来の瞳の色である蒼が透けて見えた気がした。
「サーレル、でも……」
「もしお前が天界に行くなどごめんだというのなら、俺が堕天使にでもなって、魔界に連れていってやる」
俺にもそれくらいの覚悟はあるぞ。
そういいながらサーレルは首を傾げる。
暫しの、沈黙。
そののちシュタウフェンベルクは小さく溜息を吐き出した。
ふ、と微笑みながら、彼はサーレルに言う。
「……すまないが、それは出来ない。
私は彼と、約束をしているから。
お前の……サーレルのことも確かに大切な友人だと思ってはいるが、エビルとはまた違う。
……上手く言うことは出来ないが」
とにかく、お前と一緒に行くことは出来ない。
シュタウフェンベルクはそういった。
自分を迎えに来るのは、エビルだ。
例え、その役目をこの天使が負えるとしても、自分はエビル以外にその役目を託すつもりはない。
しかし、だ。
サーレルのことが嫌いなわけでもないから、上手い断り方が思い浮かばない。
困った顔をしている彼を見て、サーレルは小さく笑った。
そしてからかうような声色で、いう。
「っふ……はは、良い良い、そんな躍起にならなくとも」
冗談だから。
そういいながら彼は自分の傍の椅子を示した。
座って話し相手になれ、ということだろうか。
そう思いながらシュタウフェンベルクも小さく笑って、彼の隣に腰を下ろしたのだった。
―― その手を取る者は ――
(彼だけだと、私は決めているから。
お前の手を取ることは出来ないんだ、すまない)
(別に俺はアイツの役割を奪うつもりはない。
ただ、彼の表情が変わるところを見てみたかっただけだ)