彼女が私の前から去っていくかもしれない、ということを小耳に挟みました。
もし、そうなってしまったら、もう会う機会はないでしょう。
初めて見た時、彼女は、直立の姿勢に耐えかねて体をくねらせていました。
その様子で、昔の自分をふっと思い出しました。
「タコさんみたい。」
両手を掴まれながら、自分も、そう誰かに言われました。
まっすぐ立っている時、重力さえも億劫で、ではどうしたら良いのか分からず幼い自分は身をよじっていました。
束縛を振り切るように。
でも自分の心も体も萎えているか、反抗心でいっぱいかのどちらかでした。
それを思い出しました。
その時から、彼女は自分の身近に来てくれるようになりました。
写真見たさに、断りも無しに入り込んで来たり。
その際私が「君だけ置いて行かれちゃうんだよ」と声をかけたのが、初めてのコンタクトだったかしら。
君は何も言わなかったけど、さっと動いて風みたいに去っていった。
冷蔵庫を勝手に開けようとしたり、色々意味の分からないことを呟いていたりする君は、ちょっと困った子だった。
でも、私には自分と同じように、魂を少しだけ土精さんに連れて行かれた子なんだろうなって見えた。
それで君が保育園の時の下級生の名前を連呼しながら、写真の前で一生懸命に背を伸ばしていた時、つい、抱え上げてしまったんだ。
より、見やすくなるように。
しばらくして何事もなかったかのように着地して逃げていってしまった。
年度末には綺麗な和紙とお手紙をありがとう。
嬉しかったよ。
また写真のとこで構えたら、抱きついてきたので、そのまま持ち上げた。
心なし重くなっていた。
大きくなったんだと思った。
もう勝手に入ってくることはなくなった。
君のことを知る術は人の話ばかりだけど、成長しつつあるって思ってた。
なのに、何故転校の話になってしまうんだろう。
君は昔の自分だった。
近いところに君がいるから、私も理解してもらえた。
一つのことをやり出すとずっと一生懸命にやっている君。
水が怖いから、プールに顔をつけられない君。
偏食がひどくて、白のご飯しか食べられなかった君。
誰の耳にも届かず、理解できないのに、いつも必死で不思議なことを喋っている君。
コンビネーション遊具で遊ぶのが好きだと書いた君。
同級生の女の子をライバル視して、負けたくない君。
痒いといつでも服を脱いででも掻かないと気が済まない君。
一年が経ってちょっと大きくなった君。
昔の自分がそこにいる。
今が瀬戸際なんだ。
知恵の実を食べるかどうか。
食べないほうが幸せかもしれない。
少なくとも今の幸せは続くだろう。
でも、先のことを考えたら―きっと私と同じに苦手なことだろうけど―、少しずつ、知恵の実をかじったほうがいい。
周りの人が言っていることの意味を理解したらきっと辛い。
話を理解しようと試みたり、指示に従いたくないとジレンマに苦しむのも辛い。
したいことが今できないのはきっと辛い。
でもきっとそういう思いをしないで、離れた場所に行ってしまったら、もう取り戻せないんだ。
本来あったかもしれない自分自身を。
自分の手で人生をある程度決められる、変えられる可能性を。
分かっているさ、変わりたくないのなんて。
でも、体だって周りだって、私らにお構いなしでどんどん変わっていっちゃうんだぜ。
なら、しょうがないじゃん。
留まっている安息も、少しでも針で突かれたら割れてしまう風船みたいなものなんだ。
さぁ、早く。
君は気付いていないけど、結構危ないんだぜ。
私は君に、自分と違うほうには歩いていってほしくないんだ。
だから、どうか自我を持って、他者を少しでも意識して、賢くなってほしい。
それができたら、どうにかこうにか、私みたいに普通の人に紛れて、生きていけるかもしれない。
君次第。
だけど君がそれに気付いていないことが、私にはひどくもどかしい。
自分ら似たもの同士は不思議と仲がいいって先生が言っていた。
だからこの気持ちがどうか、言葉が使えないならそれ以外の何か不思議な力ででも良いから、伝わって欲しい。
正直な祈りです。
気付いてくれ。
自我を持ってくれ。
そしたらもしかして、まだ近いとこにいられるかもしれないんだから。