ネオ/リンと皆
蛍光色。私の目の前をちかちかと輝くもの。それは漠然としていた。それはいつ消えてしまうのかわからなかった。それは気がつけば通り過ぎていった。私の前に続くもの。それを見つめる私に緑の彼女は言った。
「私にはうたい続けることしかわからない」
青の彼は言った。
「僕は此処に来たものを導くことしかできない」
赤の彼女は言った。
「私はこれからもきっと大切なものを守っていくわ」
蛍光、蛍光。ピンクオレンジイエローが過る。その色は眩しいのに、その色の先は真っ暗になったテレビのようだった。どんなに目を細めて見ても見ることのできないそれは、私にはテレビ画面の向こうと同意義だ。
誰かが私の腕を引っ張る。隣を見ると、私の片割れ。黄の彼は言った。
「俺は君の傍にいるよ」
それは一番落ち着く声音。重なりそうで重ならない、私と同じで違う声。
「この先は怖くないよ」
怖い? ああ、そうか。私は怖いのか。言われて初めて気がついた。私はあの蛍光色の先が怖いのだ。だから足を止めてしまった。止めてはいけなかったのに。
「まだ大丈夫。間に合うよ、だから」
進もう。彼の唇が紡ぐ。私は無表情だったけど、彼は穏やかな笑顔を浮かべていた。私は震えそうな手でその手を握り返した。そして足を一歩、踏み出してみた。
「……!」
みるみるうちに、私の周りで蛍光色が溶け合う。優しい色に変化していく。足が宙を浮くような感覚。まるで空を飛んでいるようだった。
私は口を開いた。
「じゃあ、行こう」
隣を見れば、片割れの彼だけじゃなく緑の彼女も青の彼も赤の彼女もそこにいた。そうして、私の方に向かって頷く。隣から隣へ視線を移していって、私は下手くそな笑顔を浮かべた。
「 」
ありがとうもさようならも言わない。言う必要がないからだ。私の後ろに落としてきたものも、全部拾って持っていく。そしてこの先に待っているものは。
色彩が混じる。色鮮やかな箱の中。私達はその中に飛び込んだ。なんだ、怖くなんかないじゃないか。私の前に続く色が途切れるその日まで、私はまっすぐに前だけを見つめた。
「大好き」
091021
ー ー ― ー ー ー ー ー
あまい涙/クオミク
電気も付けられていない部屋の中。いつもは気丈な女の子が顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
「ミク、ミク、どうしたの?」
無視するなんて酷いじゃないか。それでも僕は、泣いているミクの方が心配だった。泣いている理由が気になった。
「ミク、ミク、どうして泣いているの?」
ミクはまたも僕を無視した。まるで僕のことが見えていないようだった。だけど、そんな筈はない。僕はこの部屋に扉を開いて入って来たし、ちゃんとここにいるのに。
「ねえ、ミク……」
僕は泣きじゃくっているミクの肩に触れようとした。でも、触れられなかった。僕の手が、ミクを貫通した向こう側に見える。僕は呆然とした。ミクが言った。
「ミクオが、ミクオが、動かなくなっちゃった……!」
僕が動かなくなった? じゃあ、ここにいる僕は一体誰だと言うんだろう。
ミクは僕を見ていない。僕じゃないミクオを見て、泣きながら、帰って来てほしいと言っている。
僕はその涙を舐めてみた。正確には舐められていない筈なんだけど、甘いような、そんな気がした。
091121
ー ー ― ー ー ー ー ー
もう少しこのままでいて/クオリン
視界は薄く霧が掛かっている。灯台の上から海を覗き込んだ。夜の海は一面真っ黒だ。クオちゃんが笑う。
「え、何?」
「いや、波なんか見つめて楽しいのかと思って」
「そりゃあ、楽しいよ。……少し寒いけど」
「冬にこんなとこ来ようとするからだよ」
「クオちゃんだってノリ気だった癖に」
少し口を尖らせて言う。何のこと、なんて惚けられて呆れた。
これはクオちゃんとの最後の思い出旅行だ。来年になったら、私は好きでもない人と結婚させられてしまう。私たちは真剣にお付き合いしていたけれど、同時にそれが変えられない事実だということも分かっていた。
だからこれで最後。花を見て、美味しい物を食べて歩いて、沈む太陽の絶景を見て。クオちゃんと最後に見るのは、夜の海だと決めていた。冬の夜の海は、透き通っていて怖いくらい綺麗で、クオちゃんにちょっと似ている。
「もうすぐ、お別れだね」
「うん」
いっそ駆け落ち出来れば良いのに、と思った。でもこの人はそんなこと言い出さない。だって、誰よりも私の幸せを願っているから。
「綺麗だね」
「うん」
「クオちゃんも幸せになってね」
「うん」
「……さっきからうんしか言ってないよ」
私は笑った。分かりやすい人だ。そんなクオちゃんが好きだった。今でも。好きで、好きで、好き過ぎて怖い。
何も言わずに唇が重ねられた。私はそれを甘んじて受け止めた。私たちも、あの海みたいに混じり合って溶けちゃえば良いのに。そうすれば幸せなのかなあ。幸せにはなれるのかなあ。
進んで欲しくない秒針は揺れる。朝よ来ないで、と口の中で呟いた。
091212
ー ー ― ー ー ー ー ー
張りぼてでこさえた笑顔/ルカ←グミ+リン
落ちていく空の色は残像も残さずにくるくると変わっていく。忙しない情景だった。私はそれを廊下の窓から見下ろしていた。
通り過ぎて行く人影の中の一つにちくりと胸が疼いた。それが私の好きな人と憧れの人だったからだ。私は私の友人が好きだった。性別は女の子。そのせいでどうすれば良いのか分からなくて、最近では上手く接することが出来なくなっていた。そんな友人と一緒にいるようになったのは、恋愛感情とは関係無く憧れていた女の子。長い緑色の髪に素直な性格、綺麗な歌声を持っている。敵う筈もなくて、無意識に私は友人の隣を空け渡すことになった。
どろりとした感情は収まるところを知らない。こんな時、いつも私は戸惑う。悔しくて泣けなかった。負けを認める気はなかったのだ。それでも、蹲ることしか出来ない。自分の感情を否定するのが一番嫌だった。私は怖いのだろうか? よく分からない。
「グミちゃん?」
「……!」
不意に声を掛けられ、慌てて立ち上がる。それは同じクラスのリンちゃんだった。あまり話したことはなかったけど、蹲っていた私を心配して声を掛けてくれたようだ。
「大丈夫? 気分でも悪いの?」
「う、ううん! ちょっと立ち眩みがしただけで、大丈夫だから!」
「そう?」
言いながらもリンちゃんは、私の手にある鞄をさらりと取って持ってくれた。あ、と私が言う前に、その手によって制される。
「途中まで帰る方面同じだったよね? 一緒に帰ろ」
「……う、うん」
有無を言わせぬ口振りに、思わず頷いてしまった。
私達は落ちている銀杏の葉を踏んで歩いた。びゅうびゅうと風が吹いている。コートとマフラーを身に付けてもまだ肌寒い。鞄は返してもらった。リンちゃんに持たせるのは悪いと思ったし、身体的に具合が悪いわけではなかったから。
「もうすっかり冬だね!」
「うん、寒いねー」
吐けば息も白くなる。もうじき枯葉の姿も見えなくなるだろう。普段から注意して見ているわけじゃないが、考えてみると寂しかった。
リンちゃんは言う。
「グミちゃんは最近、ルカちゃんといなくなったね」
「……え」
不意を突かれて驚いた。しかし、よく考えてみればリンちゃんはその理由までは知らない筈だ。私は自らの冷静さを促す。
「ん、そうだね。なんとなくなんだけど」
「本当に? ルカちゃん、ミクちゃんとばっかりいるから、てっきり喧嘩でもしたのかと思った」
「……ううん、喧嘩なんかしてないよ」
それは事実だったし、彼女にはなんの問題も無いのだ。問題があるとしたら、私自身の方で。
「じゃあグミちゃん、なんでそんな顔するんだろ?」
リンちゃんは首を傾げた。
「そんな顔?」
「グミちゃん、正直あんまり笑えてないよ」
「……!」
私は愕然とした。バレていないと思っていたことが、まさか筒抜けだったなんて。私の反応を見たリンちゃんは苦笑を溢す。
「大丈夫。私、そういうことについての勘が人より良いみたいなんだ。他の人は気づいてないよ。特に、あの二人は」
「どうして……」
「どうして? だってグミちゃん、ルカちゃんのことが好きなんでしょ?」
思わず息を飲んだ。再び疑問符を口に出そうとして、躊躇する。それが意味のないことだったからだ。
「…………そうだよ」
少しして、私は潔く肯定の言葉を呟いた。リンちゃんは怪訝そうに眉を潜める。
「じゃあ、どうしてルカちゃんから離れたりしたの?」
問われて、私はあの日のことを思い出した。今でも鮮烈な記憶として残っている。あの日、彼女はミクちゃんの歌声を美しいと褒めた。純粋な感動と尊敬の宿った目をしてミクちゃんのことを見つめていた。私は悔しくて悔しくて堪らない気持ちになったが、同時に気づいてしまった。知ってしまった。あの表情を引き出す術が、私にはないということを。
現在の私は弱々しく笑っている。
「それはね、私が友人の席では満足出来なくなっちゃったからかな」
理由にすらならないかもしれない。つまり、悪いのは私だけだった。いっそのことこの感情が紛い物だったら良かったのに。そう願った日々は、数え切れなくて。
「泣けばいいじゃん」
リンちゃんはそんなことを言って私を抱き締めてくれた。でも、私は泣かなかった。どうして心を折ることが出来ただろう。
「ありがとう。だけどね、勝たなきゃいけないものがあるから、私は笑うんだよ」
それが憧れの人であろうと。
最後の言葉は飲み込んで、私は空を仰いだ。ほら、夜がくるよ。全部包み込んでいく。私の気持ちなんて知らないふりをするんだろう。卑怯だね、本当。
091210
ー ー ― ー ー ー ー ー
不器用なやつ/ミクリン
本当の本当に馬鹿な人。敵は作るのに味方は作らなくて、他人にも自分にも厳しくて。皆が彼女を勘違いする。私も最初はそうだった。嫌いだと言う、好きとは絶対言わない癖に。弱くないと言う、強くもない癖に。影で努力してるのに、そんな態度はちらりとも見せない。泣かない。強情。意地っ張り。
「あんたやっぱり馬鹿でしょう」
横たわる彼女の手を握った。それは酷く冷たかった。脆弱になっちゃって。
「馬鹿なのはあんたでしょ」
彼女は気丈なふりをしていた。ぼろぼろな身体でよくもまあ言い返すもんだ。本当に口だけは達者なんだから。私にその戦法はもう通じないのに。
「ばかやろう」
ありったけの憎しみを込めて私は言った。すると、彼女は珍しく困ったような表情をする。私は訊いた。
「なんでそんな顔するのよ」
「じゃあなんであんたは泣くのよ」
言われて初めて目元を触ると、水滴が指にくっついた。私は毒づきながらも泣いていたらしい。涙を拭うのも億劫だ。第一、
「あんたのせいよ」
睨んでやった。彼女が馬鹿なのが悪い。何も言わないところも悪いし、こんなになるまで頑張るなんて酷い。悔しかった。悲しかった。
「…………ごめん、リン」
程なくして彼女が言った。私は驚いて顔を上げる。彼女に謝られるのは初めてのことだ。だって、彼女は人一倍プライドが高いから。彼女が少なからず反省しているのは分かったけれど、私はそんなに心の広い方じゃない。
「許さない」
私は首を横に振った。彼女が手を握り返す感触がした。やっぱり冷たい。
言葉はそこで終わりではなかった。
「……許さないよ。あんたが、いつもみたいに偉そうな歌姫に戻るまでは」
「…………馬鹿」
馬鹿はあんただ。私は怒っているのに、抱き締めてくるなんて卑怯じゃないか。
「あんたが不器用なことなんて今更なのよ。隠されて倒れられちゃ堪ったもんじゃないわ」
そんなの寝覚めが悪いどころの話じゃない。おまけに情に厚いなんてタチが悪いし、隠すならもっと上手く隠せよと思った。
「あんたもね」
そう言った彼女が笑った気がした。こっちは泣いているのにいい気なものだ。後でどう仕返ししてやろうか。
て言うか、
「いい加減離してよ」
「嫌」
「……」
許した途端に傲慢な彼女に戻るなんて、一体どんな嫌がらせだろう。顔を上げた彼女は呆れ返っている私を見て、馬鹿みたいに強気に言った。
「歌も、地位も、リンも。もう誰にもあげない。絶対に手放さない」
馬鹿な人。そんなことを言うからまた頑張る羽目になるのだ。上がってしまった体温を誤魔化すように、私は毒を吐いた。
「馬鹿ね、初音ミク」
091219
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お題元:
愛執