コスモスを見て、綺麗だね、と君は言った。
大きいもので、君の鼻先を擽るほどに成長しているコスモスは、君を彩るのにちょうどいいスパイスになった。
笑顔でコスモスと戯れる君。
愛おしい。
お土産に一つ持って帰ろうと手を掛けると、驚いたような表情で僕に迫ってくるもので。
慌てて後ずさった僕のすぐ側に、君の顔が。
「千切っちゃだめだよ!」
「え、…あ。」
「可哀想だ。」
「君によく似合うので、一差し持ち帰ろうかと」
「それはだめだ。ここに居てこそのコスモスだ」
吐息の掛かるほどの距離。
そんな自覚のない君は、僕が手を掛けようとしたコスモスに愛を向けている。
まるで三角関係。
君が僕の恋する対象だと知らずして、君はこのコスモスに愛を魅せた。何百と咲くこのコスモスに。
恋とは、とてもじゃないがおしとやかではない。
博愛主義な君が、幾万と存在する生物に愛を向けているのは存じ上げている。
それでもここで、恋をしたのだ。
コスモスに向ける笑顔の君に。
コスモスと戯れる笑顔の君に。
まさか最初の嫉妬相手が、コスモスだなんて思わなかったよ。
なんてね。はは。
泡風呂に入りながら、私は思った。
この泡と一緒に私の中のモヤモヤもぷかぷか浮いて出て行かないかって。
この大きなお風呂を占領する泡が全て私のモヤモヤで果てればきっと、お風呂を出たときにはスッキリするだろうにって。
少し疲れて座った瞳で、目の前の泡に一息吹き掛けた。
浮かぶ気泡。
シャボン玉みたいに上に向かって、やがて下がり始めてタイルにぶつかり弾けるの。
こんな風に、
目に見えて悩みが消えたらいいのに。
「泡ちゃんと睨めっこ?」
「だって、初デートがラブホって」
私の悩みの種が、前をタオルで隠して現れた。
その憎めない笑顔に思わずため息。
「えー、だって2人とも実家暮らしじゃーん!」
「ビジネスホテルでいいじゃん」
「やだやだー、つまんないよ?こっちの方が楽しいよ?ほら泡ちゃんのお風呂だよ?」
「はいはい」
ザボンと入浴して恋人は私と肩を並べる。
必死な説得を受け流して、最近少し気になっていたお腹周りに腕を回してガードを固めた。
幸いにも泡のおかげで素肌も見え辛い。
悩みが本心を隠す。まさにその様だ。
「ジャグジーにも出来るんだよジャグジー!」
来慣れないラブホテルでテンションが高めな恋人を尻目に、私は静かに照明を落とすのだった。
ずっと、ということばが、如何に安易的で、如何に重くて、如何に呪縛性を伴うかを、やつは知らない。
ずっと一緒にいよう。
そのずっととは、いつまでなのか。
高校が終わるまでなのか、大学が終わるまでなのか。はたまた三十路に至るまで?まさか。
そんな先のずっとが、存在するはずがない。
俺は今まで、何度も各方面からずっとという言葉を貰ってきた。
ずっと仲間、ずっと恋人、ずっとメンバー、ずっと、ずっと。
そう、その紡がれた言葉たちは、ほんの数ヶ月で滅んでいった。
だので、ずっとなんて言葉がこの世で一番信じられないと思っている。
どうせいつか終わる縁なれば、ずっとなんてあやふやにせずにいつまで、なんて有限にしてもらった方が気が楽だ。
しかし、俺がそんな気持ちをいだいているなんて知る由もないこいつは、いとも容易くずっとという言葉を使いやがった。
「ずっとって、いつまでだ?」
俺が眉間にシワを寄せて問い掛けても、すんと澄ました顔で首を傾げてこういう。
「ずっとはずっとだ。それ以外に何がある?」
わかってない。
わかっていない。
俺の気持ちが爆発するまで、多分あと少しだろう。
ずっとなんてものはない。
そうキレるまで、あともう少し。
人間不信の僕のこころを、勝手に解そうとしないでほしい。
秋羽紅葉が、颯爽と俺の懐に潜り込む。
まるで猫のように、するんと自然に、だ。
誰かを頼るのも、誰かも信じるのも苦手な僕は、そんなプライベートゾーンに踏み込まれるのが嫌なはずなのに、どんなに引き離してもくっついてくるこの野郎。
紅葉は、名前に似合ったらオレンジのふわふわな髪の毛を僕の頬にぐりぐりと突きつけた。
それは鼻をかすって擽ったい。
でも、どうしてそこまでして僕の懐に入りたいのかはわからなかった。
「佐久浦は、どうしてそんなに独りなの?」
突然問われたその声に、よくも分からないひょんとした声がこぼれた。
独りのつもりはないし、独りになりたいわけでもない。
ただ、他人を信じることが怖くて、弱音を見せて頼るくらいなら1人で片付けたほうがマシだと、そう思うのだ。
だからそんなカンペキを求める僕に、次第に人もついてこなくなる。
いつの間にか、周りには誰も居なくなる。
いつもそうだった。
そんな感じで世界が終わる。
はずなのに。
「ねぇ、佐久浦のメアド教えてよ」
幾ら無視してもついてくる。
変に懐いてきた同級生の秋羽紅葉。
人懐っこい性格なのは知っていたが、いざそれが自分に降りかかるとなるとやはりかなりのしんどさを伴った。
こんなに長時間、誰かと居たことがない。
「俺、人間不信なんだ」
そんなことを言えば引いて、きっと居なくなるだろう。
そう思ったのに。
秋羽は笑ってこう言った。
「そうなんだ、よかった。僕は宇宙人でさ」
だから話が合うはずだ、なんて言われて、
はいそうですかと納得出来るわけもなく。
とはいえ思いもよらない発言に思わず笑みを零した。
ばれないように口元に手を添えてもバレるものはバレる。震える肩を抑えることは出来なかった。
「あ、本当なんだからな?」
「はいはい」
僕のこのクラスで、唯一会話できる存在は宇宙人。
これはこれでありなのかもしれないと、そう思った昼下がりなのだった。
爪を塗りました。
姉に借りた、紫色のツヤのあるマニキュア。
塗り立てのときこそ、自分の爪ではないようでドキドキして、キラキラしているムラサキに心を躍らせたの。
明日はこの素敵な爪を、お友達に見せるんだ、!
そう、思ったのに。
翌朝起きて見た私の爪は、自然にそぐわない色をして、私のどの部分よりも主張をしているように見えて、今すぐにでも落としてしまいたい恥ずかしい爪に思えてしまった。
でも、朝には爪に構っていられる時間なんてないから、そのまま仕事へ行くしかなかった。
職場では、爪をバレないように手をなるべく上げず、なるべくグーの形で目立たないようにした。
私にとってその爪は、最早コンプレックスでしかなかった。
誰も気づかないで欲しい。その一心だった。
「爪、綺麗ですね」
後輩くんが、気付いてしまった。
「へ?」
きっと顔も引き攣っているだろう。そんな私によく話し掛けれるものだわ。
その後も色のことや塗り方、色々な質問をされた。
私はこの爪を忘れたくて思い出したくもないのに何度もなんども掘り返されてイライラしかしなかった。何故私の爪には気付けて、このイライラには気づかないんだ、!
結局私は、家に帰った途端に姉の部屋から除光液を借り、全てを落として元の私に戻ったの。
少し桃色な爪、白でなぞられたライン。
これが本来の私だ。
爪からの強烈な違和感からの解放は、私の心を和らげた。
もう二度と爪なんか塗るもんか。
私はそう思いながら、そっと姉の部屋に除光液を戻したのだった。